親はいつまでも子が心配でずっと見てる。
投稿者:あこ (1982年生まれ/女性/兵庫県在住)
私は結婚して、主人の通勤を考えたことと、ちょっと過干渉気味で息苦しい母からほどよい距離を取りたくて、少し離れた市に新居を構えました。
そして赤ちゃんが生まれ、初めての育児に不安感を持ちながらも里帰りを終え、育児に追われる日々を送っていました。
主人は激務のため、朝も早くから出かけ、帰りも遅く、赤ちゃんの起床から寝かしつけまで全て1人で行い、友達とも離れ、当時はまだ赤ちゃんも小さく友達もいなければ公園などにも行くキッカケがつかめず、まさに密室育児状態でした。
母には自分から離れてしまったこともあり、また母も仕事も持っていたし、しょっちゅう通ってもらえる距離でもなく、なかなか助けてもらうこともできませんでした。
そんな風に毎日を必死にやり過ごして、赤ちゃんが歩けるようになり、あちこち動き回るようになった時に少し怪我をしてしまいました。
いつもカウンターキッチンから家事をしながら目は放さないのですが、その時はできた料理をお皿に持っている時に、おもちゃにつまづき、棚の角で顎を打ち、生え始めの歯で歯茎を少し切りました。
血がたくさん出ましたが、幸いたいした怪我ではなく安心しながらも、たった1人で子供を見なければならない…1人では限界がある…と1人で葛藤していました。
自分が目を離してはいけないとは自覚しつつも、やはり一日中ずっとベッタリくっついて家事もまともにできないと息もつまり、イライラしてしまい、イライラしている自分にも罪悪感のようなモヤモヤがありました。

そんな時に、母に電話で愚痴をこぼしていた時に言われました。
「子供が小さな時は『看る』のは仕方がない。
ただ目で見るだけではなく、『手』と『目』を使って『看る』もの。
だからすぐ手の届くところに引っ付けて歩くもの。
もう少し大きくなって自分の意思で動けるようになったら『見』守ってあげなさい。
その時にやっと手があくことになる。
でも、まだまだ危なっかしいから心配で目は放せない。
そして親元から遠くへ巣立って行っても親は心配だから『木』の上に『立って』『見』守っている。
それが『親』という字。
今は自分の子供を守るためにがんばりなさい。
でも、苦しくなったらたまにはこっちに戻って来なさい。
私はあんたの親なんやから、子であるあんたのことも心配で木の上から見てる。
親はいつまでも子が心配でずっと見てる。」
これを言われて、改めて自分も子であり、そして心配してくれる親がいることを自覚しました。