父親の一言

自分が信頼できる人なら良いよ。

私は現在33歳の主婦です。 これは、私が結婚することに決めた事を両親へ報告した時のお話です。 29歳の頃、当時付き合っていた彼と結婚することを決めました。 彼と交際をしていたことは両親とも知っていましたが、結婚を考えていないなら他の人を探してもいいんじゃないのと母にはよく言われていました。 そんな彼と結婚を決め、独り暮…

どんな形であれ必ず道は開ける

私が大学受験で勉強に煮詰まっていた時に父親がかけてくれた言葉です。 受験勉強が上手く行かず毎日不安で仕方なく、自分だけがどの志望校にも受からないのではないかと気持ちが落ち込んでいました。 今思えば受験に失敗したとしても浪人して頑張れば良いだけのことですが、当時の私は受験で失敗することは恥だと思い込んでいました。 考え方…

義務を果たさんもんに権利はない。

この言葉は私が中学生のときに言われた言葉でした。 「義務を果たさんもんに権利はない。」 この言葉は私の人生を変えました。 小学生のとき、私は中学受験をしました。 そして幸運にも受験した全ての学校で合格をもらったのです。 しかし、私に選択肢は無く親が行かせたいところに知らない間に、何の相談も無く入学手続きが進んでいました…

何処に行こうと何をしようと、いつまでも君のままで居てください。

大学を卒業し、自分の夢を叶えるために実家のある北海道を出て東京に向かう時のことです。 父からもらった一言が、今でも私が人生に迷ったときの指針となっています。 当時東京に行く事は、母には随分前から相談していたものの、父にはなかなかその事を告げられずにいました。 結局出発3日前というギリギリになって、「私、明後日東京行くか…

いつでも戻ってきていいからね

私は高校卒業後に地元から離れた専門学校に行くことになりました。 私はそれまで地元から離れるなんて考えてなくて急に決めたので父から反対を受けました。 ですが、真剣に話したら許してくれて私は県外の専門学校に行くことになりました。 専門学校は県外でしたが、同じ地方内だったので許してくれたのだと思います。 専門学校に2年間通い…

娘が、私の娘として生まれてきてくれて本当によかった。

私の父は小さいころから明るくひょうきんもので、父がいるだけで家の中がとても賑やかになり私達家族にはとても大切な存在でした。 でも私は高校生の時、反抗期で両親の言うことに聞く耳をもたず、とくに父との会話が苦で話しかけられても無視ばかりをしていました。 そんな私の反応にさすがの父も怒りが達し、 「そんな風にお前を育てた覚え…

こうやって家族四人で過ごせている今が一番楽しいよな

私の父はお世辞にも褒められるような人間ではありませんでした。 家族に黙って借金をしたり、何日も家に戻らなかったり、そしておそらく不倫もしていたのでしょう。 それでも父はどこか憎めない人間で、子どもの頃に両親と私そして妹と家族四人で楽しく過ごせていた日々は、こうやって書いていて涙が出てきてしまうほどに輝かしい日々です。 …

お前の幸せがお父さんとお母さんの幸せなんだから

私は一人っ子で両親にとても大切に育てられ、何不自由ない幼少時代を過ごしてきました。 父も母も私をただ単に可愛がるだけではなく、小さい頃から私を一人の人間として尊重してくれたので、自由にのびのびと過ごすことができたように思います。 そんな私が人生の岐路に立ったのは就職活動の時でした。 私は地元である東北の田舎を離れ東京の…

やりたいことを見つけてとことんやること

これは父親の持論で、私は小さい時から物心ついてもずーっと言われ続けてきました。 私にとっては人生を決めてくれた一言になっています。 私の人生観にもなっていて、自分の子供たちにも同じようなことを言い続けています。 親子三代に渡って家訓の様になっている言葉です。 小さい時は自分にとって何が一番やりたいことかはすぐにはわかり…

人間はな、誰しも我が身が大事なんだ

ある朝の出来事。 私は学校に行く為、慌ただしく準備をしていました。 いつも家を出るギリギリまでゆっくりしてしまうのが私の悪い癖なのです。 横では祖母が洗濯物を部屋に干しており、台所では父親が私の様子を見て、 「だからいつも言ってるじゃないか。 先にかかるであろう時間を見越してないからそうなるんだ」 と、呆れ返りながら母…

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