私は昔からかなり繊細で色々なことを気にする性格の人間です。 そんな私とは対象的に、90代の祖母は性格が大らかで細かいことを気にせずに生きてきたという人です。 いつもにこにことしていて、人の悪口を言わずに、年をとってからは以前よりもしゃきしゃきしたところはなくなりましたが、それでも毅然として人生前を向いて生きています。 …
祖母の一言
私が小学一年生の事でした。 当時祖母は70歳くらいでしたが、農家をしていたのでいつも朝早く起き農作業をし、生き生きと過ごしていました。 その祖母から言われた言葉が、大人になった今でも私と言う人間の根本に根付いていると思います。 私は内気な方で小学校一年生に上がりその環境に慣れず、友達をつくることが出来ませんでした。 毎…
就職活動について悩んでいるときに祖母が言ってくれた言葉です。 本当にやりたい仕事に就きたいと思い就職活動を始めたものの、世の中が一気に景気が悪くなった時期と重なってしまいました。 一生懸命勉強をしてきたけれど就職先がないという状況でした。 このまま就職ができなかったらどうしよう。 新卒扱いでないと正社員として働くことが…
祖母は戦争経験者です。 それも1945年の8月には、広島の工場に動員されていました。 直接的な原爆の被害にはあっていませんが、”ピカドン”の意味やB29の爆撃の話を幼い頃はよく話し聞かせてくれました。 戦争が終わり出稼ぎから帰ってきた後は、お金の問題で全く知りもしない家に嫁がされます。 知りもし…
私が高校生だった頃、進路に悩んでいた時に祖母に言われた言葉です。 やりたい事や興味があるものが明確になく悩んでいたのですが、この言葉を聞いて「とにかく今できることをやろう」と思いました。 この言葉で気持ちが軽くなり、目の前の受験勉強だけを考えて無事に春を迎えることができました。 そして、この言葉の深さは大人になるにつれ…
明治生まれの祖母が亡くなって、もう10年あまりが経ちます。 後妻として嫁いできて、先妻の子供と自分の子供(どちらも男の子)を育てあげましたが、そのうち「自分の子供」が私の父です。 その私はと言うと、父の厳格な態度で育てられたのにもかかわらす、さみしがりやで小さいころから気が弱くそのくせわがままで忍耐力にかける子供でした…
少し前に身内が急病で緊急手術を受け、生死をさまようような事態になったことがあります。 その時に親戚中の人に心配をかけ、また迷惑をかけてしまいました。 親の実家にお礼とお詫びの挨拶に行きましたが、祖母はかなりの高齢だったので、今回の事件について叔父は何も話していないようでした。 そんななか、帰る時間が近づいてきたころ祖母…
自分が仕事や人生について悩んでいたときのことです。 自分でははっきりと悩んでいると態度に示していたとは思わなかったんですが、たまたま祖母と一緒にいたときに一言いわれました。 「普通の生活を毎日過ごす。そうすることが世界の一員として世界を動かしていることになる」。 その言葉を聞いたとき、80年近い年月を生きて来た人からの…
私は幼少のころからとても特殊な環境で、そのため様々なおもいを抱えながら育ちました。 不安でアンバランスな私を母親のように育ててくれたのは祖母です。 私をさびしくさせまいと、ものごころつく前からさまざまな音楽にふれられるようにしてくれていました。 祖母は唱歌や童謡、周りの大人からはグループサウンズ、ビートルズ、歌謡曲やフ…
これは仕事に悩み、辛い時に祖母に言われた言葉です。 小さいころから自他ともに認める『おばあちゃんっ子』の私は大学・社会人時代から結婚までの10年以上を祖母の家の2階を借り、2人で暮らしていました。 小さい頃から祖母に「がんばれ!」と言われた記憶がありません。 私の真面目で融通の利かない性格を分かってくれていたのだと思い…