もし万が一必要になったら私の臓器を使って。
投稿者:M.Y (1995年生まれ/男性/神奈川県在住)
なんの前触れもなく水腎症という腎臓の病気を患ってしまったことがありまして、どうするべきか大変悩んでおりました。
情報を調べてみても医師に意見を伺っても特に危険だということもなさそうで、当時お金が厳しかった僕は放置することに。
腎臓に水が溜まって膨れ上がってしまう病気なので、まるで妊婦さんのようなお腹になってしまっていましたが、まあ服を着れば誤魔化せる範囲でしたのでなるべく気にせず過ごしていました。
ですが、当然病気を放っておいて良いはずもなく、次第に痛みが現れ始めました。
放置していて二年目になったときです。
最初の数ヶ月はまだ我慢できる痛みだったのですが、次第に痛みは強くなっていって最終的には深夜寝れないほどの激痛でした。
どこを向いても、どんな体制になっても痛いというのは水腎症を患って初めてのことで、流石にこれはまずいと、隣に寝ていた同棲中の彼女を起こして救急車を呼んで貰ったのは記憶に新しいです。

そして約二年振りに診てもらった腎臓ですが、案の定「何故ここまで放置していたのか」と言われる程度に肥大していたそうで、腎臓の機能がほとんど失われてしまっている状態とのことでした。
手術の内容は、狭窄して腎臓に溜まった水が排出されなくなっている管に穴の空いた棒を通し、広げるというもので、二つある腎臓のうち一つを失うことになります。
手術前後に入院を挟んだのですが、日頃から人との交友が少なく、友人どころか親ですら見舞いには来てくれませんでした。
見舞いに来てくれたのは、唯一そのとき付き合っていた彼女だけです。
それだけでも嬉しい話なのですが、そのとき彼女が言ってくれた「もし万が一必要になったら私の臓器を使って。」という言葉が手術の大きな支えになったことを強く覚えています。
局所麻酔ですから手術の不安も大きかったですし、一人だということに対する不安も少なからずあった中で、彼女の存在とその言葉は大きく不安を和らげてくれました。
お陰様で術後一年以上経つ今では妊婦さんのようなお腹もなくなり、痛みもありません。
また、腎臓が一つなくなったところで生活に支障はありません。
けれども、いざ腎臓を一つ失ってみると不思議と「もう一つ失ってしまったらどうしよう」と思ってしまうものなんですよね。
そんな中で言ってくれた、彼女の「自分の臓器を使っていい」という大きな言葉は、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、まさに人生でいちばん嬉しかった一言でした。