まぁ、人間逃げ道作っておくことも大事だからね

投稿者:まこ (1992年生まれ/女性/東京都在住)

私が小学生の頃の思い出です。
私の学校、とりわけ私の学年は4年生から5年生に上がった時点でかなり荒れており、いわゆる学級崩壊のような状態になっていました。
授業中机に乗っかって奇声を上げる生徒はもちろん、いじめも横行し不登校の子もいる状態です。
そんな状態だったので、人間関係も同様に荒れていました。

昨日まで仲の良かった子が急によそよそしくなる、かと思えば急に親しげにしてくる……。
子供なりの人間関係ですが、これはかなり怖いことでした。
今は仲良くても明日は?明後日は?もしかして今仲良くしておいて、あとで突き落とすつもりなのかもしれない、こんな考えが尽きませんでした。
授業もままならない、学校生活自体が崩壊状態、こんな日々に私はすっかり疲れてしまっていたのです。

そしてある日、ついに学校を休んでしまいました。
風邪でもなく、家族の予定でもなく、それは生まれて初めてのズル休みです。
私の家庭は優しい父と厳しい母といった感じで、この日家にいた母には何と言われるか……とドキドキしたのですが、意外なことに何も言われませんでした。
「熱はなさそうだけど、体がだるい」というと、ただ一言「そう」とだけ返ってきました。

そしてその日の夕方、また明日は学校かと思いつつソファーに座ると、机で何か書き物をしていた母がこちらを見ることもなくぽつりとつぶやきました。
「まぁ、人間逃げ道作っておくことも大事だからね」と。

驚きました。
学級崩壊状態にあることはもちろん親も知っていました。
ただそれだけでなく、私が学校で何かあったんだろうということ、そして今日の欠席の原因はそれだろうということも、全部母はわかっていたのです。

これまで母は人とのいざこざは徹底的に話し合って解決しろ、逃げるな、という姿勢の人でした。
その母から、この日の私の逃避を受け入れるような言葉が出たことは、父=優しい、母=厳しいというイメージを持っていた小学生の私には衝撃でした。
同時に、厳しい母の、母親としての顔だけでなく、一人の人間としての一面を見た気がしました。
そしてきっとお母さんの人生にも、逃げ道を作っておくことも大事だと思えるような何かがあったんだろうと、子供なりに理解したのです。

結局、この学級崩壊状態は卒業まで続きました。
しかし中学入学後は、たまのいざこざはあるものの普通の学校生活をおくることができるようになりました。
平穏な中学生活はもちろんその先の高校、大学、そして今でも時折思い出す、厳しい母の違った一面が垣間見えた一言でした。

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