またサザエ捕ってやるからな

投稿者:まや (1986年生まれ/女性/三重県在住)

高校の頃まで実家で一緒に暮らしていた祖父に言われた言葉です。
私は高校を卒業した後すぐに上京し、実家を離れました。
その後は専門学校に通い就職した後も東京で1人暮らしを続け、実家には3ヵ月に1回くらいのペースで帰るようになっていました。

うちは両親が共働きで忙しかったので小さい頃からいつも祖父や祖母が面倒を見てくれて、両親よりも一緒にいる時間が長かったような気がします。
祖父は漁師をしていて無口でしたがとても温厚で優しい人で、私は怒られた事は1度もありませんでしたし祖父が大好きでした。
でも私が中学生になった頃から一緒にいる時間はだんだんと減り、元々無口な祖父とは顔を合わせてもあまり話さなくなってしまいました。

それは私が社会人になってからも変わらず。
私が実家に帰省すると嬉しそうな顔を見せてくれた祖父でしたが、私はおしゃべりな祖母とばかり話していましたし祖父とは相変わらずちょっと会話するくらいでした。
それでも祖父は私がご飯を作ってあげたら美味しい美味しいと言っていっぱい食べてくれたり、祖父が捕ってきてくれたサザエを私が美味しそうに食べていたら喜んでいっぱいサザエの殻をむいてくれたりして、昔と変わらず本当にいつも優しい人でした。

ところが数年前、突然祖父が病院に入院する事になってしまったんです。
そして祖父はどんどん体の調子が悪くなり、結局そのまま昏睡状態に。
両親の話ではだいぶ前から祖父は体調を崩していたのですが、私には心配をかけないように黙っていたそうなんです。
なので私はずっと何も知らず、急いで実家に帰った時にはもう祖父は昏睡状態で、まったく話が出来なくなってしまいました。

それでも私は毎日病院に通い眠っている祖父に話しかけ続けました。
祖父は日に日に衰弱していって、信じられないくらい痩せてしまって。
正直その頃は祖父の姿を見るのがちょっと辛かったりもしました。
その後、私は仕事があって仕方なく1度東京に帰ったのですが。
東京に帰った翌日、祖母から電話が入って、祖父が亡くなったと聞かされました。
私はアパートで1人で大泣きしました。
せめて最期に立ち会ってあげたかった。

その日の夜、すぐに地元へ帰って既に葬儀場に運ばれた祖父に会いに行きました。
祖父は病院にいた時よりもずっと安らかな顔をしていてまるで眠っているようで。
でも祖父に触れるとびっくりするくらい体が冷たくなっていて。
改めて祖父の死を実感するとまた涙が止まらなくなりました。
そしてそのとき父に祖父が亡くなった時の話を聞いたんですが、祖父は亡くなる前に私の名前を呼んでいたそうなんです。
そして父が呼びかけると一言、「またサザエ捕ってやるからな」とちょっと笑顔で言ったそうなんです。
私はそれを聞いてちょっと笑ってしまいました。
そして祖父に「そんなに私がサザエ食べるの嬉しかったの?」と話しかけました。

だんだんと会話が減り、あまり話さなくなってしまったけれど、優しい祖父は最後まで私の事を想ってくれていたんですよね。
私は祖父に「いつかサザエいっぱい食べに行くから、その日の為に天国でいっぱい漁をしておいてね。」と手紙を書いて、棺桶に備えました。
きっと祖父は今も天国でいっぱい漁をしているんだと思います。
いつか私が年を取って亡くなったら、おじいちゃんに会いに行ってサザエを一緒に食べられたら良いな、と願っています。

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