ずるがしこく上手に生きる大人より、損をしても、優しいままの大人になってほしい。

投稿者:ミミ (1992年生まれ/女性/岩手県在住)

私は、中学・高校生の頃から、周りにすごく気を使う子でした。
クラスで誰かと誰かが喧嘩をすれば、仲直りできるか本人たち以上に心配で、その二人が話すきっかけを作ろうとしたり、一緒に何かできる機会を作ろうとしたり。
口論をしている友達がいれば、いつも「まあまあ、落ち着いて」と声をかけずにはいられないし、そこで「あなたはどっちの味方なの?」と巻き込まれても、「どっちの言い分も分かるから、難しいな」と、どちらも孤立させないように、気を遣って話したりしていました。
それで嫌な思いをしても、「人に優しくするのは当たり前のことだ」と思っていたし、「あなたは優しいね」と、「優しいから好きだよ」と言ってくれる友達がたくさんいたので、これでいいんだと自信を持って生きていたのです。

それは大人になってからも同じで、飲み会をしようよ、という話題がでて、「でも、仕切る人がいない」となれば「私がやるよ」と引き受けるのは当たり前のことでした。
「悩んでいる、助けて」と連絡が来れば、どんな深夜でも多少疲れていても友達の話を聞いてあげたいと思いましたし、実際にたくさん相談に乗ったりもしました。

ところが、大人になり、色んな人の生き方を見ていくうちに、私は「人に優しいのはいいことだ」と思えなくなっていきました。
飲み会の幹事をやれば、確かにしっかり計画を立てて実行できるし、みんなからも「幹事をやってくれてありがとう」と言われ、嬉しいとも思います。
けれど、わたしが毎回、日時やら予約やら連絡やらで大変な思いをしている一方で、ただ「飲み会したい!誰か仕切って~」といつも他人任せな子もいました。
そんな子達は、周りのことなんて考えず自分が楽しむために全力で。
けれど周りの友達も、「やっぱり○○ちゃんは楽しいね、面白いね」といつも言っていて、その子達は少なからずいつも私より楽しそうでした。

また、「悩んでいる」と打ち明けてくる友達は、恋愛の悩みを洗いざらい話してくれて、私は「頼ってくれているんだ」と嬉しく思いました。
でもいざ恋愛が良い方向に進むと、「前はこう言ってたけど、大丈夫?」と声をかけても、「そんなこと言ったっけ?」と言われ、「あなたも人のことばかり心配してないで、自分の心配をしなよ!」と笑われる始末で、私は利用されていただけだったの?と思うこともありました。
「結局、人に優しい人が損をする世の中なんだ。図々しく、ずるく生きてる人が楽しく生きられるんだから、私もそうなりたい」
そんな風に思うように、なってしまいました。

そんなときに、父がかけてくれた言葉。
それが「ずるがしこく上手に生きる大人より、損をしても、優しいままの大人になってほしい。」という言葉でした。

父は、「優しい、っていうのは、みんながみんな出来るわけじゃないんだ。お前も分かってきたみたいだけど、ずるい大人はいっぱいいるから。けど、損をすることがあっても、人に優しくしたらその分は絶対いつか自分に返ってくる。口にしないだけでお前に感謝している人が、本当はもっとたくさんいるかもしれない。そんな人たちはきっと、お前が困ったときに助けたいと思ってくれるよ」と私に教えてくれました。

私はその言葉をもらって、人に優しくできる大人は素晴らしいし、私もやっぱりそうなりたいと思えました。
だって、父はいつも人に優しくて、その分周りのたくさんの人に愛されて、助けたり助け合ったりしているから。
私も父みたいになれているのなら、きっと間違っていないのだと、そう思いました。

私が小さいころ思い描いていたほど、大人は優しくないし、大人の世界も優しくはありませんでした。
けれど、たとえたまに損をしても、人に感謝されるなんてやっぱり素敵なことだし、それはいつか自分にとっても大きなものとなると私は今は信じられます。
そして、父が教えてくれた「優しいままの大人」としてこれからも、迷っても、損をしても、泣きたくなることがあっても、小さいころに正しいと思っていた「人に優しくするのは当たり前」という生き方を、大切にしたいと思います。

error: