たくさんの人からしてもらったありがとうは、できるときにできる相手に返してあげてね

投稿者:nk (1991年生まれ/男性/静岡県在住)

私は幼いころ、先天性の足の骨の病気を患っていました。
その影響で私は3歳から5歳の間、つまり幼稚園に通っている間中ずっと右足にギプスをはめていました。
まだ幼かったですが、周りの友達がグラウンドを駆け回ったり、遊具に上ったりする様子をただただ見ていることしかできず、我慢ばかりしていた毎日だったことをよく覚えています。

それでも私の両親、それに担当医の先生は症例数の少ない私の病気の経過を細かく診断してくれ、なかなか満足に動けないことで起こるストレスも、私の話をよく聞き小さなことを褒めることで和らげてくれていました。
体の成長に合わせて足の長さや太さ、微妙な形の変化を計測して、何度も何度もギプスを作り直し、気づけば私の幼少期は常にギプスと一緒でした。
今でも病院の待合室の薄暗い雰囲気とギプスの方を執るときの機会の音を覚えているほどです。

そんな生活が続いて3年目の夏、担当医の先生はこの調子でいけば来月にはこのギプスともお別れできるかもしれないね、と私に言ったのでした。
それまで嫌いで仕方なかった病院も、それからの一カ月間は待ち遠しくて仕方ありません。
しかし約束の一カ月後、改めてレントゲンを撮った結果、非情にも経過は思わしくなく、そこからさらに数カ月ギプスを付けた生活は続くと宣告されました。
これまでギプスを付けてきた2年間を思えば今ならそこの数カ月などたいしたことなく思えますが、当時の私にはとてもつらく、その場で泣き出して病室から逃げ出してしまったのでした。
ギプスを付けたままの足で病棟から駐車場まで逃げ回り、最終的には両親に車の前で捕まったことも、当時の感情そのままに思い出すことができます。

それからの辛い3ヵ月を過ごし、ようやく私はギプスから解放されました。
担当医の先生は私によく頑張ったね、うそをついてしまってごめんねと言ってくれました。
それと同時に支えてくれたお父さんお母さんにこれからはありがとうを返していく番だね、と優しく言いました。
私はどういう意味か分からず、とにかくギプスが外れたことに満足していると、帰宅後、食卓で母が私に改めてよく我慢したことを褒めつつ、先生の言葉を繰り返しながら、「これまでたくさんの人からしてもらったありがとうは、これからはあなたがその時、その場でいろんな人に返してあげてね、できるときにできる相手に返してあげてね」と涙を浮かべながらいうのでした。

ギプスが外れ、自由を手にした私はこれまでの我慢を晴らすかのように外で遊ぶ子になりました。
学年が上がるにつれて、やんちゃもしましたが、今振り返ると常に私に誠実であろうと思わせてくれたのはあの日先生と母からもらった、周囲への感謝を忘れずにいなさいという重みのある言葉だったように思います。

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