どんなに辛くても、ひとつの楽しかった思い出に生きる力を貰えるのが人間なんよ

投稿者:YUGO (1971年生まれ/男性/福岡県在住)

学生時代、いじめられていた。
いま振り返ってみれば、それはからかいといじめの境界線くらいのもので、対処出来ないものではなかったようにも思うが、当時は非常に辛い日々を送っていた。
それこそ自ら命を絶つことすら考えるほどに、当時の自分は消耗していたのである。
しかし自分はいじめられていることを誰にも相談しなかった。
相談することでさらにいじめがエスカレートすることを恐れていたのもあるが、それ以上に話しても無駄だという気持ちが強かったのである。
幸い家族は自分の様子に気付くことなく、毎日学校に行ってはからかわれ、弄られる毎日を送っていた。

そんな学校生活も、夏休みに入ってしまえば行かなくてすむ。
親にねだり、自分は夏休みのあいだ田舎の祖母宅に預けられることになった。
祖母は自分を温かく迎え、もてなしてくれた。
いじめられることのない時間に、田舎の自然に触れる楽しさ、祖母が用意してくれたご馳走。
その全てが素晴らしく、自分は開放感に包まれていた。
同時に休みが終わればまたあの日々に戻るのだと思い、憂鬱にもなっていた。

そういう自分の様子に何か気付くことがあったのか、夕食のあと、祖母は縁側に私を呼び、井戸で冷やした西瓜を振る舞ってくれた。
家で口にするものとは比べものにならないほど甘く瑞々しい西瓜に夢中でがっついていると、祖母は美味しいかと尋ねてきた。
うん、と答えると、今度は田舎は楽しいか?と聞かれたので頷くと、では学校は辛いのか?と切り込まれた。
祖母の言葉に絶句した私に微笑み、祖母は言ってくれた。

「どんなに辛くても、ひとつの楽しかった思い出に生きる力を貰えるのが人間なんよ」
仕事が辛くとも、人間関係で思い悩んでいても、それとは別に良いことがあれば、人はそれを糧に生きていける。
良い思い出を沢山持っていれば、それだけ生きる力を沢山貰えて、強くしたたかに生きていくことが出来る。
だから、辛いことがあっても良い出来事を求め続けなさい。
良い思い出を生きる力にして、辛いことと付き合っていきなさい。
お祖母ちゃんは悩みを解決することは出来ないけれど、良いことを沢山経験させてあげることは出来るから。
祖母に慰められ、自分はひと晩泣き明かした。
そして夏休みの間中、祖母の家で楽しい思い出を沢山作った。

夏休みが終わって学校に戻っても、別にいじめがなくなったりはしなかった。
元の生活に戻り、弄られる日々。
でも、祖母との楽しかった思い出が自分にいじめと付き合う力をくれた。
逃げるでも立ち向かうでもなく、ただ受け流しているだけの消極的な対処だったが、少なくとも自分にとってそれはいじめへの対処となった。

祖母の言葉と思い出が、自分にいじめと向き合う、生きる力をくれた……自分は今でもそう思っているし、祖母の言葉は真実だと確信している。
どんなに辛いことがあろうと、人間は楽しかった思い出、記憶があればそれから生きる力を得ることが出来るのだ。
祖母はもうずいぶん昔になくなってしまったが、その言葉は今も自分の中で生きていて力をくれている。
これも自分にとっては楽しかった、良い記憶だからだ。

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