娘が、私の娘として生まれてきてくれて本当によかった。
投稿者:あぶらとり紙三枚 (1984年生まれ/女性/千葉県在住)
私の父は小さいころから明るくひょうきんもので、父がいるだけで家の中がとても賑やかになり私達家族にはとても大切な存在でした。
でも私は高校生の時、反抗期で両親の言うことに聞く耳をもたず、とくに父との会話が苦で話しかけられても無視ばかりをしていました。
そんな私の反応にさすがの父も怒りが達し、
「そんな風にお前を育てた覚えはない!!」
そう声をあらげ、私は生まれて初めて父に自分の頬を叩かれました。
「お父さんなんて大嫌い!!死んじゃえばいいのに!」
そう私は父親に叫び、この喧嘩から父との距離が更に広がってしまいました。
父との会話がないまま月日が経ち、ある日父から話があると言われ家族みんなが家のリビングに集められました。
そして父が一言言い放ったのです。
「お父さんは、あと3か月しか生きられない。」

私は、一瞬何を言っているのか分からず自分の中で整理ができず、また父が冗談を言い出したのかと思い、
「そんな冗談、通じないよ!何がしたいの?うざったい!」
「だから何!?私には関係ない。」
そう父に言い、自分の部屋に戻りました。
自分の部屋に戻っても父の言葉は嘘だと思い、そのまま雑誌を読みながら部屋でくつろいでいたら、母が部屋に入ってきました。
「お父さんがさっき言った事は本当なの。」
「お父さんね、あと3か月位しか生きられないの。」
私は頭が真っ白になり、気づけば涙が流れてきていました。
「お父さんが…死ぬ?もう生きられない…どうして。」
父との昔の記憶がよみがえり、ふと私が父に言った言葉を思い出したのです。
「お父さんなんて死んじゃえばいいのに!」
私が、あの言葉を父に発してしまったから…。
父にあの時言い放った言葉をその時初めて後悔しました。
なんて酷い言葉を言ってしまったのだろうと、とても自分を責めました。
父の病名は肺ガンですでに骨にも転移していたため、もう手術をしても治らず余命3か月と申告されました。
父はその後がんセンターに入院し、できるだけ父と過ごす時間を作ろうと頻繁に父の看病を行いました。
入院した当初は父もいつもの明るさで入院生活を過ごしていたのですが、日が経つにつれて父の症状はひどくなってきてしまい、痛みのせいで父もイライラしたり精神的にも落ち着かない状況が続き始めました。
私達家族も、父がどんどん衰えていく姿を見てとても胸が締め付けられるような思いでした。
父はそのイライラを私達家族にぶつけたりもしました。
私も父に「お見舞いになんてくるな!早く帰れ!バカヤロウ!」と怒鳴られてしまい、私もカッとなって、「せっかくお見舞いにきてるのに、何なの!?もう二度とこないから!」と言ってしまいました。
その日を境に一度も父のお見舞いに行くことはありませんでした。
そして月日は流れ、父は余命宣告されてちょうど3か月後に亡くなりました。
父の病室の整理をしていると、父を担当していた看護師が部屋に現れ、
「お父さん、あなたの話ばかりしていたわよ。とてもお父さんに愛されていたのね。」
と声をかけてくれました。
私は涙が溢れ出てきました。
私はあんなに父のことを拒んだりしていたのに…。
入院中の父の話を看護師に色々聞き、私はどれだけ父に愛されていたのかその時初めて実感したのです。
父は死ぬ直前、看護師にこう伝えていました。
「もっと生きて色々な事を教えてあげたかったけど、それが出来ないみたいだ。」
「娘が、私の娘として生まれてきてくれて本当によかった。」
生きたくても生きられない人がこの世の中にどれだけいるだろうか。
父もそのうちの一人です。
生きられない人の分、一分一秒でも笑顔で過ごし後悔しないよう時間を大切に噛みしめ、生きられていることに感謝しながら過ごして行こう。
父の死をきっかけに、私は心にそう誓いました。
父が最後に教えてくれた教訓を、私は今もずっと心に焼き付けて生きています。