努力に勝る天才なし
投稿者:はるか (1968年生まれ/女性/大阪府在住)
私が小学生だった頃の話です。
私には2つ上の姉がいたので、その勉強を覗き見ることで学習し、学校の勉強は復習のような状態になっており、おかげで当時は学校の成績もよく、宿題をしていかなくても怒られないという、今思うととても生意気な生徒でした。
何をやらせてもそつなくこなし、自分でもできないと思うほど傲慢な子供でした。
どの先生も私を怒ることができず、私はそれに甘えて過ごしていたような気がします。
でも、ただ一人ある担任の先生から「努力に勝る天才なし」という言葉をいただきました。
当時の私にはそれが理解できませんでしたが、年を重ね高校生になり、初めて自分の机に向かい勉強するという習慣がついて日々予習復習、宿題をこなすようになったとき、ふと先生がおっしゃった言葉を思い出しました。

その先生はわかっていらっしゃったのですね。
私が今の自分の力に奢ることなく何かを努力していくことで、いろんな経験やいろんな感情を積み、それが自分の才能となっていくことを。
もっと早くにこの言葉の意味を理解できていたらと思うこともありましたが、いくつになっても何か努力することにより、自分の力になっていくんだという気持ちに切り替わりました。
天才というと大げさな言葉であっても、何かを努力する、何かをがむしゃらにやってみるということは、どのような結果を招こうとも、経験値として自分に刻まれていく。
そう、体得することこそが自分の生きる力になっていくのだと感じています。
その先生に大人になってからお会いした時に、この話をしました。
気づいたのは遅かったですが、今でも心の奥にいつもある言葉ですと。
あのとき先生は私に気づいてほしかったようです。
このままだと、自分以外の人間を見下した人間になってしまうのではないかと危惧なさったそうです。
こつこつ努力することで、学校の勉強だけではなく、それに付随する知識を持つことで、それが自信になり、挫折したとしても乗り越えていける人間になれる。
そう気づいてほしかったとおっしゃっていました。
天才(天から与えられた才能)に甘んじていては崩れやすい。
努力により肉づけすることで強くなれる。
そんなことを思い日々を過ごしています。