あんたの好きなようにしなせえ
投稿者:もふ (1968年生まれ/女性/千葉県在住)
幼い頃から親に「~しなければならない」と厳しくしつけられ、絶えず怒られながら育ってきました。
言うとおりにしないと見捨てられるという誤った思い込みが強くできあがってしまい、反抗期もなく「親の言うとおりに動く、手の掛からない子ども」のまま、大人になってしまいました。
しかし「人の言うがままになる人生」が、本人にとって良いはずがありません。
私は自分の本心がすっかりわからなくなってしまった迷子となり、心身共に疲れきり、ついに勤めていた会社を休職するにまで至ってしまいました。
「会社に行かねばならない」、しかし「身体の症状がつらくて動けない」。
でも行か「ねば」……。
自分の本心を抑え込んでいますから、何かの局面にぶち当たったとき「自分はどうしたいのか」がまったくわからず、それはとても苦しい状態でした。
そんな、会社にも行かれないくらい疲れきって休職を余儀なくされていたときに、亡くなった祖父の法事が遠方で執り行われることに。
私は「法事には行かねばならない」、しかし「体調が悪くて遠出をするのは無理がありそう」という二つの間で、葛藤していました。
「~しなければならない」という考えの方が強く、旅の準備を……と思うのですが、身体が重くてどうしても動けませんでした。

困った私は、祖母に電話をしました。
遠い地方に住んでいる祖母ですので、中学生に上がった頃から忙しくてなかなか会いに行けていません。
ですが、祖母は私のことを初孫だからととても可愛がってくれていました。
「おばあちゃん、私、おじいちゃんの法事にどうしても行きたいんだけど、身体が重くて動けなくて、どうしたら良いか迷っているの」。
その私の、出席でも欠席でもない、大人らしからぬ妙な電話に、祖母は優しく言ってくれました。
「あんたの好きなようにしなせえ」。
その一言で、気持ちが軽くなっていくのを感じました。
私は「~しなければならない」という強固な考えに取り憑かれていました。
法事は冠婚葬祭のお付き合いの場。大人としてはきちんと出席し「なければならない」。
でも祖母の言葉は、「そんな固い、凝り固まった考えに囚われることはないよ。
あなたはあなたで自由に生きれば良いのよ」というメッセージに聞こえました。
言われたのはたった一言。
ですが、社会的儀礼や形式から解き放たれ人間を大きく捉えた境地からの、本質的で大事なひとこと。
「あんたの好きなようにしなせえ」。
この一言で、私は葛藤から救われました。
法事の件のみならず、何か迷うようなことが起こるたび、あのとき祖母が電話口で言ってくれた一言が、私の気持ちを軽くしてくれています。
囚われていた「歪んだ親子関係」から脱出するにも、この一言が現在まで大きく支えてくれています。