した事は忘れても、された事は忘れないんだ。
投稿者:ライナス (1961年生まれ/男性/東京都在住)
それは30年の時空を超えた思い出です。
高校の同窓会、久しぶりに会う先生方や仲間達、少し風貌は変わりましたが、中身はちっとも変わらず、すぐに当時の教室の雰囲気が戻ってきました。
そんな中、一人の友人がそばに来て言います。
「あの時はありがとう、ひどく心細かったんだ、どれだけ支えられたことか。本当に感謝してるよ」と。
私は何の事だか分からず、「えっ?何だっけ」。
友人は(あ、こいつ忘れてるな)という顔をして、「まあ、今日は盛大に呑もうな!」と言って別グループのところへ行きました。

…思い出しました。
友人は一人東京を離れ仙台の大学に進みました。確かな学問の志があるとはいえ、土地勘も知り合いもいないところで大丈夫かなぁと思い、毎週手紙を送っていたのです。
もちろん、ネットも、ましてやSNSもない時代でしたから、その距離感は今では想像もつかないほどだったのです。
内容は日常の他愛もない、役にも立たない事ですから、私の記憶には残っていなかったのでしょう。
そんなことが友人の心の支えになっていたのですね。
それは半年ほど続いたでしょうか、互いに忙しくなり、その後はそれぞれの道へ進んでいきました…。
しばらくして、友人はまた私のところに戻ってきて言いました。
「した事は忘れても、された事は忘れないんだ。」
この言葉は深く深く沁みました。
それは良くも悪くも人の中に共通する事ではないでしょうか。
よく、「根に持つ、根に持たれる」と言いますが、あまり好ましい意味ではありません。
文字面のニュアンスは同じでも、友人はにこやかにその言葉をくれたのです。
これまでお世話になってきた方々に「してもらった事」つまり、恩は忘れていませんが、自分が誰かに「してあげた事」はどんどん忘れている、そんな気がします。
人の出会いには限りがあります。
「してあげた事」も、数々の「してもらった事」も日々の暮らしの中に埋もれていくと思うと、小さな事も記録しておくことは大切なのだな、と思います。