あんたが死んで悲しむ人はおっても困る人は誰ひとりおらん。
投稿者:YUNHAHA (1981年生まれ/女性/大阪府在住)
4人姉妹の末っ子として生まれ自由奔放に生きてきた私に突然、姉がボヤいた一言です。
その頃の私は、実家暮らしで家事手伝いは一切せず、あげくの果てには職を転々とする日々を送っていました。
友人も多く常に彼氏もいる悩みのない25歳。
アフターファイブは毎日遊んで帰宅は深夜が当たり前。
そんなわたしをみて、姉がこういったのです。
「あんたが死んで悲しむ人はおっても困る人は誰ひとりおらん。」
甘やかされて育ったためイヤと思えば何もしない、ワガママ放題の私にどうやら家族は困っていたようです。
日に日に増す家族のストレスを簡単に収めたこの言葉に、自分のことながら「うまいこと言うな」と感心までしたものでした。
確かに、友人や彼氏そして身内は私がいなくなればきっと泣くだろう。しかし・・・
職場でも大きな仕事を抱えているわけでもなく「いなくて困る存在」ではないことは確かでした。

それに気付かされ、いつになくすんなりと受け入れることのできた現実に、
「あ。変わろう」
そう決心するまで時間はかかりませんでした。
それまで派遣で3ヵ月更新、辞めたくなればいつでも辞めれる言わば「逃げ」の姿勢を取っていた私ですが、初めて「夢」を描き、その半年後にはウエディングプランナーとして新郎新婦にとってなくてはならない存在となれました。
気が付けば、なんとなく付き合いをしていた友人や彼氏はどんどん離れていき、新しい出会いが面白いほど広がったものです。
話す内容も考えることも今までとは違う!そんな充実した毎日に時間が経つのすら忘れ仕事に奮闘できました。
今では結婚し、最愛の夫そして子どもを授かることができたのも、きっとこの瞬間があったからだと今でも思い出に残っています。
思い返せば、自分でも自分の人生に対し疑問を持ちながらやり過ごしていたんだろうな・・・と思います。
毎日をただ笑って過ごす。それだけを求めなんの成果も成長もない毎日に苦しんでいたのは、もしかすると私だったのかもしれません。
冷静に考えるととても失礼な言葉ですが、今では「私がいなくては」と思える生活を送ることができているので感謝しています。
私の再スタートの瞬間でした。