お母さんがいれば、僕はどこでもいいよ

投稿者:えのぐ (1976年生まれ/女性/秋田県在住)

長男が一歳、次男がお腹の中にいる時にシングルマザーになりました。
これが本当の良い選択か分からず、反面もう以前の生活にも戻る事は考えらず、毎日眠れない日々。
でも、悩んでいても小さい息子達が幸せになれる事はなく、父親がいないのなら、自分が父親の役割をすれば良いんだ、二人分の愛情を私一人で頑張って与えれば良いんだと、前向きになるよう決意をしました。

それからは、実家に住まわせてもらっていたので家族のサポートを受けながら仕事も再開、子供達も保育所通いをし、忙しいながら笑いながらの生活が出来ていたと思います。
私によく似た気の強い性格の長男とは毎日喧嘩、でも、毎日沢山おしゃべりしたり、絵本を読んだり。
食いしん坊でちょっとおっとりした次男は、そこが可愛くいつもニコニコ笑い合っていました。
毎日挨拶の様に、ママ、大好き、と言ってもらって、私も同じくらい大好き、宝物だよ、と伝えていたつもりです。

後二年で長男も小学生、という所まで成長してくれましたが、6畳の一部屋が親子3人の部屋でこのまま過ごす事はいい加減限界で、独立をしなければなりません。
その時もしも可能なら再婚出来ないだろうか、と考える様になりました。
自分なりに頑張ってきましたが、ちょっと疲れていたのかもしれません。

一念発起して、結婚相談所に入会し出来るだけ活動してみました。
合わせて、ご縁がなければ仕方ないので、独立を視野に県営住宅、市営住宅の入所の申込もしました。
子連れの為、婚活は決して多くの方を紹介される事はありませんでしたが、その中でもお断りをされる事、お付き合いを申込んでいただくもうまくいかずで、婚活を始めて一年くらいが経過。

そんな時、県外在住の年上の男性を紹介いただきました。
私が今まで出会った男性の中で、生活面、経済力、仕事などが最も安定している方で、おまけに口調も優しく、お話していても楽しく、もっと一緒にいたいと思える人です。
ありがたい事に、一か月くらいで交際する事になり、それから数か月でプロポーズをされました。
同時期くらいに、ずっと待機だった市営住宅も当選。
良い事は重なるものだなと思いつつも、県外に引っ越す旨を伝えて辞退しました。

引っ越しの荷物も引っ越し業者が運び、涙ながらに家族にお別れをし、息子達と私の三人で新しく家族となった夫の所に車で向かいました。
今まで一緒に生活してきた家族と別れる事が寂しく、次男と一緒に車の中で大号泣、生意気な長男もちょっと泣いていました。
寂しいよね、ごめんね、ごめんね、と私が話していると、次男は行きたくない、とさらに大泣き。

でも、長男が、

お母さんがいれば、僕はどこでもいいよ

と言ってくれたのです。

その時の嬉しさは多分今までの人生の中で一番で、この先もこれ以上の言葉はないかもしれません。
自分の全てを受け入れて、愛してくれる存在がいる事の幸福感は言葉では表せないくらいです。
そして、私の人生の選択は間違っていなかったのかもしれない、と思えました。

新しく家族4人で慣れない生活が始まり、喧嘩もするけど、今も仲良く出来ています。
ただ長男はますます生意気盛りに、次男もついに少しずつ生意気になってきました。
でも、どんな事言っても、今でも大好き、と長男と次男二人で言ってくれます。
私も息子達に与えてもらった一生分の幸せを返せる様に、お母さんも大好き、といつも伝える様にしています。

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