みな命、金色に光る
投稿者:JYOMON (1989年生まれ/女性/栃木県在住)
私がこの言葉を聞いたのは「仏教学」の授業の時でした。
その先生は、似た目は白髪のベートーヴェンで背は高く、いつも何を考えているのか分からない人という印象があります。
ある日の講義中、先生は黒板に白チョークで「みな命、金色に光る」と書きました。
私はこの文字を見たとき、何だか分かりませんがカミナリに打たれたような衝撃を受けたのです。
先生は言いました。
「この言葉は、どんな命でも金色に輝いているという意味です。
昔、優秀な教え子がいました。
その教え子が結婚して初めての子供が生まれました。
その子供は発達障害で、彼女にとって毎日が苦労の連続だったようです。
疲れきった彼女は、あるとき大学時代のノートを整理していました。
そのとき1枚のルーズリーフが彼女の前に落ち、そこに私が教えたこの言葉が書いてあったのです。
美談になってしまうかもしれませんが、彼女はこの言葉を見て『どんな障害を持っていたとしても不必要な命なんてない。私なりにこの子を育てて行けばいいんだ』と悟ったのだそうです。
もしも、君達が人生に迷ったらこの言葉を思い出してください。
この言葉が君達を救ってくれると思います。」

この言葉が私を救ってくれることにもなったのは、それから数年後でした。
大学を卒業し、思うように就職活動が上手くいかず、食べるために高齢者介護の道を選んだころのことです。
初めての高齢者施設での仕事は、私にはつらいことばかりでした。
認知症で徘徊ばかり繰り返す高齢者に付き添ったり、汚い仕事や高齢者が興奮したときに手を挙げられたりしました。
「こんな人達を看なきゃいけないんだろうか・・・。」
そう思ってしまっていたところ、先生のあの言葉を思い出しました。
確かに色んな高齢者がいて、いま私はそれを支える立場ではあるけれど、昔はこの人達が働いていたおかげで私はこうやって生活ができているんだ。
この人達だって好きで認知症になったわけじゃないし、辛いんだ。
寄り添ってあげなきゃいけないんだと気づくことができたのです。