生きている限り思い通りになる事は何もない
投稿者:貧乏暇無し (1988年生まれ/男性/高知県在住)
祖母は戦争経験者です。
それも1945年の8月には、広島の工場に動員されていました。
直接的な原爆の被害にはあっていませんが、”ピカドン”の意味やB29の爆撃の話を幼い頃はよく話し聞かせてくれました。
戦争が終わり出稼ぎから帰ってきた後は、お金の問題で全く知りもしない家に嫁がされます。
知りもしない家に嫁いだのですが、祖父は非常に良い人だったらしく、祖母は結婚を非常に喜んだそうです。
ただ、結婚後、娘(母)を妊娠した直後に祖父は結核を発症し他界。
嫁ぎ先からは「お前のせいで跡取りが死んだ。そのうえ女を産んだ。」と家族総出の嫌がらせを受けます。
それでも祖母は、何とか母を育て上げるために、身を粉にしてその家で過ごしました。

それから約40年後に私がこの世に誕生します。
私は両親が共働きだった関係上、幼い頃を祖母によって育てられます。
両親とは離れていても祖母の事は大好きだったので、その生活は私にとって何一つ不自由のない生活でした。
幼稚園に入園するまでは…。
当時の幼稚園はちょうど現代の子供達の走りが通うような時代で、私のように生粋のおばぁちゃん子はもはや存在しない状態でした。
ゴキブリ一匹出ただけで、先生までもが飛び上がる幼稚園で、私は祖母に習ったようにゴキブリを上靴の裏で叩きつぶして殺しました。
翌日から私の上靴は穢れた物とされ、それを持っている私自身が穢れた物になり、いじめの標的とされました。
結局のところ、私はその幼稚園のトラウマを引きずったまま同世代と馴染めず、大学を卒業した現在も同年代の友達と呼べる存在は一人もいません。
思い出の一言を祖母から聞いたのは、一番それに悩んでいた高校の頃です。
私は不登校になり、自殺未遂を繰り返していました。
もうどうする事もできなくなっていた私は、祖母に「お前に育てられたせいでこうなった。」とやり場のない怒りをぶつけてしまいました。
その返答として祖母が漏らしたのが、今回上げている言葉です。
その言葉を言う祖母の顔は不思議と笑っていました。
人間本当に悲しくなると泣く事はしません。
笑うのです。
私はとてつもない後悔の念とともに、自分が生きる事によって祖母の考えを打ちのめしてやろうと思いつきました。
現状私は無職です。
思い立ったところで、中々物事は上手くいかずに「思い通りになる事なんてないな。」と思いながら四苦八苦しています。
それでもいくらかの目処は立っています。
祖母はもう歳なのであと何年生きられるかわかりません。
生きている間に、思い通りの孫になってギャフンと言わせてやろうと思っています。