おじいちゃんは○○(私の名前)の1番のファンやからね。応援してるから。
投稿者:中堅OL (1988年生まれ/女性/兵庫県在住)
私は高校生だった当時、母親と門限の時間についてよく揉めていました。
私は「8時は早すぎる。家から繁華街まで電車で30分かかることを考慮してほしい。大阪まで行ったら1時間はかかるし、9時にしてほしい。守れない約束はしたくない。」と主張しましたが、母は「この家の考え方は8時までという考え方だから、門限を守ってくれない友達とは距離を置きなさい。考え方が違うなら、出て行って。」と、話し合いは平行線でした。
アルバイトは学校で禁止されており、養ってもらっている身の私としては、友達は次回誘ってくれないんじゃないかという不安に苛まれながら8時に間に合うように帰るか、母が悲しみ怒るのは承知しながらも反抗して遅く帰るか、というどっちにしても心が痛い選択しかありませんでした。

絶対に妥協せず考え方を変えない母を頭が固く古臭いと思いましたし、友達のほうも繁華街から電車で15分ぐらいの所に住んでいることから「8時に帰るのは早すぎるよ」と勝手なことを言ってきたので、電車に間に合うよう必死で走る私の気持ちを誰も考えてはくれないんだな、と少し悲しく思いました。
母とも友達とも少しずつ考え方が違う。
自分の味方はいないんじゃないか、と家でも学校でも心の奥底に疎外感を感じて辛い時期がありました。
そんな時、仲良しだったおじいちゃんが、ボケ防止の為に行っていた月に1回の電話で、この言葉を言ってくれました。
「ファン」という言葉はポップな印象を受けますが、その中には、私の事を好きでいてくれていて、応援してくれていて、良い時も悪い時も、一緒に乗り越えていこうという、とても暖かい意味が込められていると感じました。
しかも1番のファンなので、絶対的な安心感がありました。
たった一人でも、自分の味方がいると思えたことはとても心強く、前向きに問題解決に向けた話し合いをすることができました。
また当時高校生で、少しミーハーだったので、「自分にはファンがいる」というのは、まるで芸能人になったようで嬉しかったです。