批判はしていい、否定はするな

投稿者:コディーノ (1985年生まれ/男性/東京都在住)

この言葉は高校のサッカー部での練習中に顧問の先生が言った言葉です。
当時の私にとっては、その時の背景も含めて心に残る言葉で、今でも鮮明に覚えています。

それは高校2年生の秋、ちょうど3年生が部活を引退し、2年生である私たちが最上級生として迎える初めての大会に向けて練習に励んでいる時でした。
当時の私たちはようやく自分たちが最上級生になったということへの喜びと、後輩たちに態度で示さなければならない責任感から、練習にも特に熱が入り、仲間内での意見交換、時には怒声を交えての熱い口論に発展することもしばしばでした。
お互いが本気であるからこそ、本気でぶつかれる、顧問の先生もそのようにとらえ、口論を止めることはしませんでした。
もともと、熱血な指導者というよりは、温かく穏やかに生徒と接する先生だったので、特に口出しをされたことはありませんでした。

そんな先生が、ある生徒が放ったある一言に珍しく声を荒げた瞬間がありました。
それは3対3のミニゲームをしている最中、ボールを持った選手に対し、横にいた選手がパスを要求しましたが、ボールを持った選手はそのまま自分でドリブルをしかけました。
結果としてシュートまで持ち込むことはできず、相手にとられてしまったのですが、その際パスを要求していた選手がこう言ったのです。
今は完全にフリーだから、こっちにパスをださないとダメだ、ドリブルの選択肢は絶対にありえない。
その言葉に対して先生は敏感に動き、私の心に残る一言を言ったのでした。

「批判はしていい、否定はするな」

先生の言いたかったことは、あの場面では確かにパスという選択肢が正しかったのかもしれない、それでもドリブルという選択肢を不正解にしてもいいが、選択肢からはずすことはしてはいけないよ、そういったことを言いたかったのだと思います。

様々な場面で様々な人が生活する世界において、選択肢を除外するという行為は自分の可能性をも狭める行為になりかねません。
あらゆる可能性を考慮し、判断材料としての選択肢を増やすことで、より豊かな結果につながっていくと思います。

先生が教えてくれた言葉の意味をよく考えることで、多面的な見方、受け入れ方ができるようになったと思います。
高校時代にこのことに気付けたこと、それが私の高校生活の財産の一つです。

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