苦しいのはみんな一緒だよ。自分だけが苦しいわけじゃないよ。

投稿者:もり (1980年生まれ/男性/愛知県在住)

私には3つ上の姉がいます。
とても元気で病気などほとんどしたこともないと思います。

小学生の時には毎日一緒に学校へ通っていました。
冬になると体育ではマラソンが始まります。
マラソン大会の練習です。
私にとっては1番嫌な授業でした。
それは私は小さい時から持病に喘息を持っていたからです。
小児喘息です。
喘息の他にも貧血気味な私は始業式、終業式などの式では必ず倒れてしまうタイプの子です。
マラソンの練習でもすぐに発作が出てしまい歩くことさえ難しい状況になります。
そうすると走るのをやめてグラウンドの隅っこで休むことが増えました。

走っても楽しさを味わえないのでマラソンは大嫌いでした。
すぐに苦しくなる、むしろ苦しくなるために走る、そんな感覚でした。
なので毎年マラソン大会は後ろから数えたほうが早い順位です。
小学生にとって足が速いということは=人気者と同じです。
マラソンが早くなりたい、でもすぐに苦しくなる、この繰り返しにずっと悩んでいました。

小学生の最後のマラソン大会を前に姉は一緒に練習してくれました。
6年生になった私はマラソンの練習をしてもそれほど発作が出ることもなくなっていました。
少しは体力がついてきたのかもしれません。
3年生から始めた水泳が良かったのかもしれません。
それでもマラソンは長距離です。
グラウンドを2周3周としていると苦しくて走れなくなってしまう私に姉は言いました。

「苦しいのはみんな一緒だよ。自分だけが苦しいわけじゃないよ。」

今思えば当たり前ですが当時の私には衝撃的でした。
足の速い子たちは苦しくないと思っていましたし、喘息持ちの自分だけが走ることで苦しくなると思っていたからです。

それからは周りのみんなも苦しいのを我慢して走っていることを知って私はもっと頑張れるようになれました。
途中で苦しくなっても自分だけが苦しい訳じゃないと言い聞かせて我慢しながら完走を目指しました。
姉に言われる前と後では体力は変わっていないにもかかわらず、それよりももっと早く走れるようになりました。
小学生最後のマラソン大会では7位。
入賞は6位まででしたが、毎年後ろの方だった私には十分でした。

小学校を卒業してから今まで苦しい時にはいつも姉の言葉を思い出しています。
苦しいのは自分だけじゃないと。

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